父として考える

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こんにちは。川崎の建築家、荒木成文です。

今日、ちょっと思うことがあり、この本を読みました。

『父として考える』 東浩紀・宮台真司 2010年出版。

大学時代にいくつかその著作を読み、近年それを読み返したりもしている、思想家、社会学者の対談です。

とりわけ、東さんの『動物化するポストモダン』には影響を受け、以前のブログでもちょこっと取り上げています。

学生時代に全然分からなかったことも、近年読み直して、「現代は、本で言われている通りの世の中になっている!」と、非常にショックを受けました。

このとき、思想家や社会学者たちの名著は、やっぱり本当に10年先の社会を的確に見据えているのではないかと、思い至りました。

てなわけで、このような知識人が、実際リアルな「父」になったとき、どのように自分と社会、そして子供の未来を考えようとしているのか、気になりました。

6年前の本ですけど。娘が生まれた年の本でもあるし、まあ、いい機会と思いまして。

今後パパ友たちと議論する覚書として、自分のために、気になった箇所を引用しておきたいと思います。

主に宮台真司氏による、社会デザインの話ですが。

(宮台氏は、私が理解するに、「相互扶助的に個人を包摂する、自己決定的な共同体たちの、共和から成り立つ社会。」今後はこれしかない、という考えの持ち主です。)

僕自身、結論はまだありません。これからみんなで議論を深めるきっかけにしたい。

「子育ては公的な活動」
子育ては公的な活動そのもの。子供が居なければ、そもそも社会が存在しない。

「育児と仕事との関係」
そもそも育児か仕事か、というのはあまりに単純な二項対立。結局問題は、それぞれが選んだ、あるいはたまたま選ばされてしまった人生に応じて、どれだけそれぞれの能力を社会に還元することができるかということ。
仕事と家庭は過剰に分けないほうが良い。それは混ざったほうが良い。男は働いて仕事、女は家庭で育児という分担が効率が良かったのは、高度経済成長期においてのみで、いまやその条件は壊れている。家族形態も多様化しているし、情報ネットワークも飛躍的に発達している。公と私を通勤時間で分断することには、いまや無駄が多い。だから本来の姿に戻るべき。結局ネックとなってきたのはホモソーシャリティ。体育会的な集団主義が日本の会社文化を覆っていた。今それがせっかく崩れつつあるのだから、仕事も家庭も子育ても一度全部混ぜ、その中で新しい共同性を作っていけばよいではないか。「オルタナティブな共同体」の要。

「子供の隙間コミュニケーションの重要性」
隙間で子供たちがこっそり秘密基地をつくったりして遊ぶ経験から生まれる「共同性を構築する力」ってバカにできない。もちろんそこで犯罪に巻き込まれたりするのは良くないことだけど。
隙間で生じる犯罪の質が変化してきたことを理解するのも重要だが、隙間が失われたことによって、子供たちから一定の能力が失われることについても話題にしないといけない。失われた部分をどのように手当てするか。個別に親が擬似的な隙間コミュニケーションなるものを展開する必要があるのか。(親と子の秘密の共有。こっそりの共有など。)

「大事なのは子供のグループワークの力」
子育てにおける「大人たちの勘違い」とは、「優先順位の混乱」のことだ。子供の頭を良くしたいと思ったり、喧嘩に強く育てたいと思うのはわかる。でも、だったら、「頭のいい人と仲良くなる力」や「喧嘩に強い人と仲良くなる力」のほうがずっと重要。
グループワークの力。グループワーク能力が様々なモチベーションのベースになっている。

「学校から地域再生」
学校をベースにもう一度地域性を再構築するべく、まず学校自体を組み替える。
機能的に言えば、大人たちのコミュニケーション圏に子供たちが包摂され、子供たちのコミュニケーション圏に大人たちが包摂されることで、子供たちの間に共通前提が出来、かつそれを大人たちが観察することで、同時に大人たちの間にも共通前提が出来る。

「現代のリスクヘッジ」
学歴はそもそも生きるときのリスクヘッジ。現代はそれよりも大事な人間関係というリスクヘッジ。仕事上の真のリスクヘッジは、信頼できるパートナーを見つけることを含めた、ホームベース形成能力。

「相互扶助へのアプローチの態度」
絆コストなくして、絆なし。コミュニティーで絆を求めるときに、良い面を全部いいとこどりするのは難しい。戦略的な工夫が必要。

「どうやって大きな社会を遂行するか」
今の子供たちは、相互扶助の恩恵にあずかる能力や、グループワーク能力が著しく欠けている子の割合が多い。じゃあ、どうする?それは、「わかっている」人間同士で相互扶助のネットワークをつくりそのリソースをシェアしていくしかない。「教室のみんな」を救うことは諦めるしかない。物事をわかっている人たちだけの島宇宙を周囲から分断し、その内部で有効な実践的実績を積み重ねた上で、この分断が顕在化するように外部に喧伝する。そうすればだれが賢明でだれが馬鹿なのかはっきりし、ロールモデルの学習が進むことになる。「子乗を通じた大乗」しかない。コネ階級社会化する日本。コネ=コミュニケーション能力を競い合う。現代的なコネ。有力者の影響力ではなく、ぶっちゃけの意見を言う人が必要。そういうひとを各所にいっぱい作っておく。その中で親の役割は、子供をできるだけ複数のコミュニティに所属させるということになる。そして子供を観察する。そのために親は仕事時間を減らす。

「人を幸せに出来る人だけが、自分も幸せになれる」
子供は知識やしつけから学ぶのではなく、体験から学ぶ。体験から学んだ子だけが、知識やしつけを幸せのために役立てることが出来る。なぜならば、「人を幸せに出来る人だけが、自分も幸せになれる」ことを学ぶから。

以上気になった部分の覚書でした。