医者のこと

川崎の建築家、荒木です。

私が10年通っている歯医者さんがあります。

川崎市多摩区の船井歯科医院。

船井先生は、歯を直す技術はもちろんのこと、一人の人間として温かく関わってくれる先生。

別の病気のことも気にかけてくれる。

「どんな病気でも、医者には、直るまで、ちゃんと足しげく通ったほうが良いよ。医者の診断に責任をとらせるためにね。」と言ってくれます。

何かニュアンス違ったらすいません、先生。

とにかく言いたいのは、こういうアドバイスをくれる歯医者さんに出会えてよかった、ということ。

古典

川崎の建築家、荒木です。

最近の電車の広告がみんな同じ感じで違和感を覚える。
「今の時代は・・・をしなさい」

「・・・を成功に導いた言葉」

などなど。
世の中に、そんなに新しい論理や原理が、ポンポン出てくるとは思わない。

今こそ大事なのは、古典だと思い、鴨長明の『方丈記』を読む私。

ツートンカラーのテーブル

川崎の建築家、荒木です。

ツートンカラーのテーブルをデザインした。

枠をウォールナット無垢材、内天板をバーチ積層材。仕上げはオイル。

二色のコントラストが楽しい。

二色の木を自由に選べます。

(写真のテーブルサイズ:175センチ×85センチ、高さ70センチ)

人間関係をととのえる

昨年、とある住宅が竣工した。

今時珍しい多世帯住宅。住まうのは親戚A氏、親戚B氏、親戚C氏、親戚D氏、そして町にひらかれたアトリエ。当然のごとく、設計は困難を極めた。血縁関係は難しい。関係が近すぎるがゆえに価値観の共有が難しいのである。要望も様々、関係も様々。でも皆で一つ屋根の下に住もうとする強い意志は揺るがない。

私は一つだけルールを決めた。私が居る場でしか家の話はしない、ということ。しかしそこからが大変だったのはいうまでもない。安心して全てをさらけ出してもらうために、とにかく寄り添う必要があった。私はまず徹底的に話を聞いた。それぞれの世帯から個別に話を聞き、本音を引き出し、別世帯に伝え、また次の世帯と、毎週末打ち合わせを繰り返した。仕切りの位置から鍵の一つまで細かく共有した。無論、皆を喜ばせる建築的な提案を伴って。

いつしか二年が過ぎようとしていた。ようやっと皆が一つにまとまり、着工前に酒を飲みながら施主に言われた言葉がある。「究極的なことを言えば、もし万が一建物が完成しなくてもよいと思っている。もう既に、一番大事な人間関係を作ってもらえたのだから。」

私はこのときほど、建築家として、人間同士を繋ぎ「ととのえる」ことの意味を噛み締めたことはない。それは声高に叫ぶことではないが、じんわりと感情が高ぶる類いの経験であった。

青年の仕事

川崎の青年建築家、荒木です。

「何事によらず革命または改良といふ事は必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であって、従来世の中に立って居った所の老人が中途で説を翻したために革命または改良が行はれたといふ事は殆どその例がない。」

正岡子規 

明治35年6月18日 (『病床六尺』37)

勉強机と椅子

​川崎の建築家、荒木です。

長女はもうすぐ一年生。

勉強机はリビングに設置。広い空間で勉強したほうが気持ちが良い気がするから。

その机の天板を長女と一緒に塗装。

シナランバーにウレタンクリア艶消し。ちょっと素朴だけど、リビング内だからそれくらいの存在感がしっくり。

ただ椅子は長くつかえるものを。嫁入り時にも彼女が持っていきたくなるものを、と。

今狙っているのは、アアルトの68。

北欧のものが、やはり何か心温かくて、大事な人にあげたくなる。

デート

​​

川崎の建築家、荒木です。

今日は長女の一輪車クラブのお迎えに行き、その後に、長女とランチ。

「お父さん、デートしよー。」

だって。

いつまで言ってくれるかな、そんなこと。

まあ、長女の本当の目的はお子さまランチの付録のおもちゃだけどね。

今日もまんまとだまされました。笑

ランドセル

川崎の建築家、荒木です。

先日義母がランドセルを届けてくれました。

長女のランドセル。

数ヵ月前、義母と長女がお店で決めてきたもの。

以前は、「ランドセルは、女の子は迷わず赤でしょ。」と思っていました。

しかし最近、その他のことも含めて、色々つまらん押し付けは止めようと思うようになりました。

子育てって、ついつい自分の子供時代の思いを反映したくなっちゃう。ただ、自分の子供のころの時代と、今の時代は違うのです。

子供自体も、自分と違うのが当たり前なのですよね。

オールラウンダー

川崎の建築家、荒木です。

手塚事務所時代からお世話になっている、石川県の工務店、中東のMさんと打ち合わせをした。

本題はさっと済ませて、話題は後継者の話しへ。

Mさんは、オールラウンダー。技術的な打ち合わせ、図面の打ち合わせ、お金の打ち合わせ、営業、何でもできる。何より人当たりが良く、誠実な方。ただ社長じゃないし、独裁者ではない。いろんなことを、引き受けて考えてくれる、かた。

だから、僕らは「まずMさんに」、という話になる。

ただ今の時代は分業化。全部できる人が、育たないのだそう。

建築は極めて総合的なもの。Mさんまでにはならなくても、オールラウンダーが非常にもとめられている。

手塚さんのととのえるの定義

川崎の建築家、荒木です。

私たちがやっているフェイスブックの「ととのえる」ページに、突然、師匠の手塚さんが投稿してくれました。

読めば読むほど、各所にさまざまな比喩が込められていて、非常に興味深いです。

建築家という職能のこと、建築で大事なこと、現在の建築業界のこと。。。

 

私たちへのエールだと勝手に思い込み、ありがたく頂きました。

以下全文転写いたします。

 

「ととのえるという言葉は、ヒノキカウンターの向こうの寿司屋のオヤジさんがつぶやく言葉だなぁ。ととのえるというのは片付けるということでもない。片付いてちゃつまんね〜。もっとハートで語るもんだぜ。「あるべきものがあるべきところにちゃんと鎮座している」という設え(しつらえ)をいうのだと思うぜ。その点!良くできた一握りの寿司はその極みだと思う。すし飯はちょうど良い量でなきゃいけない。そのちょうど良いというのは、カウンター越し期待に爛々と目を光らせているお客さんの口の大きさを測って決めるもので、全部一つ一つ違う。それに載せるネタは大きければいいってもんじゃない。近頃はネタのデカさを売り物にする回転寿司なるものがあるが、ありゃあ寿司じゃないね。なぁそうだろう?寿司ってのは寒風吹き荒ぶ巷から暖簾をくぐって来たお客さんを、一人一人暖かく出迎えるためにあるんであって、空港の手荷物引き取り所みたいにポンと放ってグルグル回しとくなんてイカンヨ。ごめんね、回転寿司の人達。俺は口がワリインダ。いろんなもの順序良くととのえると、自然とお天道様が味方してくれてよ、いつの間にかスルスルっと客の口の中に寿司ってのは吸い込まれてさ。そして客の目尻が下がるんでさ。そいでもって、「大将美味かったよ、またなー。」その時の気分てのは答えらんねー。だから寿司屋(建築家)ってのはやめらんねーんだよ。あはっはっはー。 手塚寿司研究所」

ラインをととのえる

川崎の建築家、荒木です。

建物の図面や、実際見える部分において、様々なモノ同士の「ラインをととのえる」のは、簡単そうで難しい。

設備や建具や仕上げ、いろんな要素が入りこんできて、放っておくとすぐに複雑になる。

複雑にするのは簡単だが、複雑なものに人は長く愛着をもてないと思う。

時間に耐え切れず、そぎ落としたくなるのではないかと思う。

物事を深く考える

川崎の建築家、荒木です。

突然ですが、私は物事を深く考えたいタイプ。

物事の本質にふれてみたい。

昔は、自己満足的に深く考えていただけのような気がする。誰かを論破したいと思っていたかもしれぬ。

しかし今はちがう。なぜ深く考え、物事の本質にふれようとするのか。

それはずばり、異業種、異種のひとと繋がれるからだ。分かり合えない、と最初から決めつけないためだ。上部だけ、感覚的だけだと同種の人としか話ができない。

しかし、それは結構めんどくさいかもしれず、みんな避けるものなのかもしれぬ。でも私はやっていく。

昔は、深く考える思考が、人を遠ざけると思っていたが、いまは違う。

深く考えることは、人を繋げることができる。

温度をととのえる


川崎の建築家、荒木です。
お風呂シリーズ2。

冬の入浴剤はこれ。

パイン(松)の香り。

松とヒバ、相性がよい。

松葉油が配合されていて、保温効果が高い。

お風呂の温度環境、ととのえています。

お風呂に木が良い理由

​川崎の建築家、荒木です。

我が家の風呂の壁天井は、腰から上がヒバの無垢材。

デザイン始めた頃は、ただ雰囲気で、視覚的にカッコいいという理由で、お風呂にも木を使いたいと思っていた。

しかし最近毎日入っていて個人的に確信していることがある。

風呂の壁に木が良いのは、「匂いが良い」からだ。

裸で入るお風呂は、視覚より嗅覚的なもののほうが大事になる。仕上げの素材がもっと体に近づいてくるからだと思う。

ちなみに我が家は、椅子も桶もヒバ。

ヒバの香りに毎日癒されています。

(なお、木壁の水垢による汚れが気になる場合、貼る範囲を腰から上に限定すれば、水が掛かりにくいので、ほとんど気にならない)

子供の習い事

​川崎の建築家、荒木です。

長女6歳が川崎の一輪車クラブに入っていて、今日発表会。

川崎市で競技人口92名。下は6歳から上は29歳まで。競技内容も様々で面白い。ただアクロバティックにやるだけでなく、バレーのような演技力も。

沢山の人々に支えられている娘。

今日見ていてふと思う。

彼女の人生で大事なことはこのクラブで全部学べるのではないかと。

体で表現する、落ちても走り続ける、笑顔を絶やさない、協調性、負けん気、礼儀、先生、先輩後輩、仲間、成功、失敗、うれしさ、くやしさ、あきらめない、喜び、家族のささえ、など。

自分は昔沢山習い事やらせてもらって、今親に凄く感謝してるけど、ひとつやれば十分だという考えもあるのかもしれないとも思った。

長く続けてほしい。

病床六尺


川崎の建築家、荒木です。
今読んでる本。正岡子規の『病床六尺』。

ちょっと自分が体調を崩していたので、丁度読みたくなったのがきっかけ。

俳句に詳しくはないが、子規の遺書として読む。亡くなる二日前までの記録。

結核末期で、六尺のふとんから身動きがとれない。それなのに、子規の頭のなかの世界はあまりにも広大な深い知性に溢れている。そこから明治当時のちょっとした日常も垣間見れて面白い。

「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。」

ご多分に漏れず、まずこの始まりにノックアウトされている。

三人の子育て

川崎の建築家、荒木です。

6歳4歳0歳の三人の子供がいます。

三人目が生まれたとき、親戚のおば様に頂いた言葉。

「二人だと色々なことを『比較』してしまうけど、三人だとそれを『個性』として見られるようになる」

たしかに、今すでに上の子二人を『比較』しちゃってるかもしれない。まだ三人目が小さすぎるので。

くだらない比較なんて世の中で一番無意味だ。

そんなことなく子供に接し続けられたら、こんな素晴らしい子育てはないと感じる。

ずっと頭のすみに置いておこう。

沈黙の春

川崎の建築家、荒木です。
先週読んだ本。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」。

1962年に出されたこの本は、その後の環境問題の議論や対策の出発点とされる重要図書。

改めて最後まで目を通す。

最近100年弱の間に、あっという間に世の中殺虫剤だらけになっちゃった。それが原因で環境バランスが崩れて、あげくのはてに人間様にも癌が。。。

現代はこの本の50年前から大きく変わったのだろうか。良くなったのか。それとも単にみな成熟して問題が見えにくくなっただけだろうか。

何が確かなのか、より分かりにくくなってきていると感じる。

さて、建築の具体的な話として、最近の建材とかは本当のところ、どうなっているのだろう。

安いとか早いとか汚れにくいとかカッコいいとかだけでなく、「安全なもの」への眼差し。。。

確かめていきたい。

ととのえるコラムの意義

川崎の建築家、荒木です。

建築家5組で始めた「ととのえる」コラム。フェイスブック上で、継続的に進められています。

www.facebook.com/totonoel.5.architects/
ちょっと踏み込んでみると、今の時代、確かなものって何?、を考えるのは本当に難しいと感じます。それは設計しているときもそうだし、日々の暮らしをしているときもそうです。
だからこそ仲間で集まり、まずはその小さな集まりから、わずかでも「確からしいもの」を見つけるべく『自分たちで動いていくこと』、に可能性を感じています。

トライアンドエラーです。もしうまくいったら発展させていく。ダメだったら見直す。それだけです。

これが、今回の集まりの本当の意義です。個人的には。

環境をととのえる

川崎の建築家、荒木です。

建築によって、外の環境をどのようにととのえるか。

まずはストレートに、建築の内側から見たい風景に開口部をちゃんと開けて、見なくてよい所をちゃんと閉じる、ですよね。

光や風や熱のことも当然加味して、その他の要望を広く受け入れて、「ととのった」形にする。

この「ととのえる」ことは、とにかく細かいところまで、何度もやる。

そうすると、住まい手が大事にする環境も徐々に整理されて、その結果出来た空間はその人にとって心地よい空間になるのかな、と思います。